彌彦神社について

由緒

彌彦 (弥彦・伊夜日子) 神社は本社が由緒ある新潟県の彌彦神社で、天之香具山命 ( あめのかぐやまのみこと ) をお祀りし、皆様の無事安泰をお祈りしています。
新潟県から札幌に移住され開発・発展に力を尽くされた有志の方々により、明治末、中島公園の地に心の拠り所と小さなお宮を建立したのが始まりです。大正9年には60坪の社殿が造営され、昭和45年に太宰府天満宮より学問の神様である菅原道真公の御分霊を拝戴、 「 札幌の天神さま 」 と呼ばれ今日に至っております。毎年札幌雪まつりに先立ち 「 太宰府天満宮梅の使節 」 が来道し、当神社にも太宰府天満宮の神職と巫女 ( 梅の使節 ) により紅梅・白梅が献花され、菅公の御霊をお慰めすると共に深く崇敬者の人々に開運と繁栄がもたらされます様お祭り ( 合祀記念祭・献花祭 ) が催されます。
昭和60年には御鎮座75年を記念し、氏子・崇敬者の皆様より心あたたまる御寄付を賜り、檜の香る神殿と大鳥居を竣工し、その後も逐年、手水舎 ( てみずしゃ ) ・参道・玉垣 ( たまがき )等、境内の整備がなされました。また、平成13年には御鎮座90年を記念し、60年振りに御神輿の渡御を行い、氏子地域である豊水すすきの地区を雄々しく巡行致しました。
こうして産土神 ( うぶすなのかみ ) として広く皆様の心の支えとし、幸福を祈り、現在に至っております。

天之香具山命について

別名:高倉下命(たかくらじのみこと)、天照皇大神の曾孫神(ひまごのかみ)

神武天皇が橿原(かしはら)の地に都を拓く際に功績があり、神武四年越の国を治めよとの命により越後(新潟県)の国の開拓、諸産業の振興発展に人々を導く、越後一宮弥彦神社の御祭神。名神大社として延喜式にも載り、万葉集に

いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼふる

いやひこの神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮服着て角つきながら

と詠まれています。尚、当社の社名は「彌彦」と「伊夜日子」とがあります。
元来「彌彦」ですが、上記の通り万葉集では「いやひこ」と詠まれており、実際に万葉仮名では「伊夜日子」と記すため「やひこさん」とも「いやひこさん」とも云われ、古くから親しまれてきました。当社でも両方の社名を使用しているのはそのためです。

天之香具山命の功績

神武天皇は東征の際、熊野にお立ち寄りになられましたが、毒を吐いていた神がいたため、天皇をはじめ一行は病に倒れてしまいます。その時、天之香児山命 ( 高倉下・たかくらじ ) は以下のような夢を見るのです。

天照大御神が建御雷神(たけみかづちのかみ)に天の下の国を鎮めるように命じます。
しかし建御雷神は、自分が行かなくても国を平定した剣がありますので、これを降ろせばよろしいと申されました。建御雷神は天之香児山命(高倉下)に「その霊剣を倉に入れておくので、目が覚めたらその霊剣を神武天皇に献上せよ。」

目が覚めた命(みこと)は、その霊剣を建御雷神の仰せの通り神武天皇に献上したところ、天皇や皆の病が治ったのです。この功績により越後方面(新潟県)を治める神様となられたのです。

当社は越後一宮弥彦神社より御分霊を戴き、縁結び、安産、開運、健康長寿、石油開発、農業、商工業、諸産業の振興・発展・繁栄の神様として、札幌市民を始め近郊、北海道内の人々に広く崇敬されております。